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​歴史・文化

島名の由来

志々島全景

諸説有りますが、その内3つをご紹介します。

 

・神功皇后が当地で十握剣(とつかけん)の神璽を祀った故事に因み、「神璽」がつまって「志々」に転じた

 

・京都御所の正殿である紫辰殿(ししいでん)に地相が似ていた

 

・島が獅子の形に似ていた

意外と多い神社

志々島の山頭神社

最大で1,000人もの島民が住んでいた志々島では、小さな島内に数多くの神社や祠等が祀られています。(唯一のお寺・利益院は2016年に廃寺)

代表的なものだけでも、山頭(さんとう)神社・十握(とつか)神社・八幡神社・明神神社・荒神神社が挙げられ、年に一度それぞれのお祭りが行われます。

ちなみに、山頭神社は健康・大漁、十握神社は安産のご利益があると言われています。

黄金の島・花の島

花の島と呼ばれていた頃の志々島

近海が良好な漁場に恵まれていた為、江戸~大正時代までは漁業が盛んで、鯛や鰆の宝庫として「黄金の島」と呼ばれていた事が有ります。

第二次大戦後は、安定的な収入を求めてキンセンカや除虫菊等の花卉栽培に主軸が置かれ、最盛期には100軒以上の花農家が居ました。

平地の少ない島ですが、勤勉な島民が天まで至る程に急峻な土地を耕した事により、空から見た島は花のパッチワークの様で、当時は「花の島」とも呼ばれました。

しかし現在は、過疎化と高齢化が進んで花農家は一軒も無くなり、島から多くの花畑が消えてしまいました。

埋め墓

志々島の埋め墓

その昔、西日本には両墓制(りょうぼせい)という風習があり、亡くなった人を埋葬する場所(埋め墓)とお参りする場所(参り墓)とが別々に設けられていました。

火葬が普通になった今でも、志々島や塩飽(しわく)諸島の島々ではその名残りが見られます。

中でも志々島の埋め墓は独特のもので、霊屋(たまや)というカラフルな小屋が建ち並んでいます。

島の郷土料理

志々島の郷土料理・茶粥

茶粥(ちゃがゆ)

昔から塩飽(しわく)諸島では米が取れにくく貴重だった為、少しでも長く食せる様にと「茶粥」を炊いて食事をしていました。

碁石茶(高知県大豊町産)の茶湯の中へ、サツマイモやそら豆等を入れて炊いた物で、お祝い事には欠かせない料理です。

今では朝1回炊く程度ですが、昔は1日4回の食事の内で3回までもが茶粥だったと言われています。

お平(おひら)

祭事などの席で食べられるおもてなしの料理で、平椀に盛り付けられることから「おひら」と呼ばれるようになったと言われています。

5~7品程度の食材を、いりこや昆布だしで炊きます。

写真は、油揚げ,シイタケ,高野豆腐,カマボコ,ゆで卵の5品です。

志々島の郷土料理・お平
志々島の郷土料理・カンノメ

カンノメ

その昔、餅つきをしていた時、落ち武者が流れ着いた事から縁起が悪いとされ、餅つきを止めて「カンノメ」(小判型の米団子)を作り、お供え・食した事が始まりとされています。

正月の雑煮に入れたり、焼いて食べると美味しく、これもまた祝いの日の食べ物の一つです。

※写真はカンノメにきな粉を掛けた物です。

寅さんのロケ地

映画・男はつらいよの舞台となった志々島

粟島と同じく、映画「機関車先生」のロケ地としても知られていますが、「男はつらいよ 寅次郎の縁談」(第46作)では"琴島"として物語の舞台となっており、その情景が撮影されました。

​かの山田洋次監督は、志々島の埋め墓を見てロケ地に決めたと言われています。

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